地震当時のこと

全く恐ろしい状況が刻一刻と伝えられる大震災状況です。

震災当時、私は浦和区のお客様のところへ伺うのに南浦和駅前で信号待ちしておりました。

埼玉県南部の震度は6で、地面がぐらんぐらん揺れ、最初は寝不足という事もあり、めまいかと思いました。

道路脇の電柱がグラグラ揺れるのを見て、地震だと分かった次第です。

道路脇に避けハザードランプを出してやりすごしました。

こんなすごい揺れなのに、駐車していた車より走行していた車の方が多かったのには驚きました。

駅前のビルがものすごく揺れ、まさか倒れるのでは?と思うほどでした。

震度6の威力はすごく、車の中に居ても揺れが激しく、道に居る人たちも立っているのがやっという感じで、騒然とした感じでした。

1分ほどでしょうか、揺れが収まったところで、3時のお約束のお客様の所へ伺うので頭がいっぱいだったので、車内のラジオを付けて震度を聞く程度の関心でした。

浦和の薬局でコピー機の回収作業でしたが、ロッカーを片付けて、コピー機を取り出し、車へ積み込みというところで、また大きな地震が起きました。

100kgを超えるコピー機でしたので、揺れてる最中はそれを押さえ、回りの安全を気にするので精一杯という感じでした。

薬剤師のお客様も私も腕がガクガク震えて、作業終了の確認書にご署名頂くのに不便してしまいました。

お客様宅を離れた後、刻々と伝わる被災状況をラジオで耳にして、これはすごい地震だと思ったところです。

その作業が終わったらオフになるので、何度も地震が来るものだし、有料駐車場へ車を止め、ぐーすか仮眠を取っていました。

この頃はまだそれ程大きな地震だとは思ってなかったようです。

車内のラジオから聞く被災状況は刻々と悲惨さを極め、こりゃ大変だと。

車内のカーナビをワンセグに切り替え、被害状況を映像で見てると恐ろしい事態が起こったものだと。

122号がものすごい渋滞でさいたま市方面から群馬方面に向かうのに、時速2km程でした。

16号を過ぎると下りはすいてましたが上りは込みまくり、岩槻ICから菖蒲のモラージュの辺りまで全く動いておりませんでした。

高速道路が通行止めで、ものすごい渋滞となってしまいました。

岩槻のローソンに寄ると、弁当類がほとんど売り切れ、予想外の売れ行きに店員が嬉々としていたのが印象的でした。

122号を下り菖蒲を過ぎると、その辺りからずっと停電で、信号機が消灯しています。

交差点ではどちらが優先か分からず事故が怖いので、後続の車が来るものの徐行しまくっていましたが、全く文句は来ず、それが災害時の運転の基本なんだと思ったところです。

信号機の無い交差点では、どちらの車も譲り合って、警察の誘導していない交差点であっても渋滞無く通行できました。

加須の自宅、さきたまの事業所の安否を確認して、行田の実家へ帰りました。

夜8時ごろに付きましたが、停電で真っ暗。

両親は眠ってて、起こすのもかわいそうなので、2Fの私の部屋へ。

停電で電気が来てないので、車へ戻ってカーナビ(ポータブル)のワンセグを見てました。

恐ろしく、また10分おきくらいに小さな地震が来て、眠気でもうどうなっても良いからこの眠りは守りたいとかうつらうつら思っていました。

すごい事が起こったとは感じていたようです。