遺品整理におけるトイレ掃除のこと

本日は草加市で遺品整理作業をしてきました。

トイレのクリーニングもご依頼頂いたのですが、遺品整理にありがちな、すさまじい状態のトイレでした。

老人になると便の質が変わるのか、便器一面に便がべっとりと付着していました。

便が付着しているため、トイレットペーパーも流されず、便器にこんもりと山になっていて、一般人では正視できない状態です。

そんな酷い状態のトイレでした。

今回、私がトイレの清掃を担当しました。

私自身は、自宅のトイレ掃除自体した事が無く、果たして自分にこの作業ができるのか、できないのか興味があり、トイレの担当は私が願い出たものでした。

作業のテクニック自体は、経験のあるスタッフに聞けば分かるのですが、一番の問題は他人様のうん○を、私自身がいじる事ができるかどうかでした。

他人様のうん○と正面から対峙するのは、正直苦しかった。。。

「何で私が、人のうん○をいじらねばならないのか」、「何の為に良い学校で勉強したり、努力してきたのか」、それでも子供の頃から「困っている人の為になる仕事をしようと思っていた正に念願では無いか、何をためらうのか」など、うん○を前に苦悩がよぎるばかりでした。

逃げるのは簡単で、スタッフに「頼むよ」と言えば良いだけでしたが、そう言えば自分が負けたと思って、必死で作業に取り掛かりました。

「ぐにょり」と手袋をはめても分かる感触で、とても気持ちの良いものではありませんでした。

それでも鷲づかみにそれをゴミ袋へ運びました、それが最大の山場でした。

後は特殊な洗剤を使い、数年こびりついていた便や尿の黄ばみをゴシゴシとこすり落としていきます。

それまで、便器に顔を近づけのが嫌でしたが、それでも黄ばみがきちんと落ちたか良く視るのに、数センチまで顔を近づけます。

洋便器の水が貯まっている部分に、長年の汚れや黄ばみが貯まっていて、それはガッポガッポと手を入れて、直接こそぎ落とす必要があります。

便器の水溜りに手を入れるなど、とてもできるのかと思いましたが、「ええい」と一度手を突っ込んでしまえば、後はふっきれたものです。

「もう、このくらいで良いでしょ」、という声をよそに、私は「まだまだ黄ばみが見える」とゴシゴシと、水溜り部分だけで袖を濡らし、2時間くらいびちょ濡れになってこすり落としました。

私がお客の立場だったら、少しの黄ばみでも確実に指摘するので、お金を頂いている以上、どうしても自分が納得いく形で清掃したくあり、トイレ掃除だけで4時間程も掛けてピッカピカに磨き上げました。

作業的にはいっぱい助言をもらいながらでしたが、ピカピカのつるつるになったのには、満足です。

しかし、今日は越えちゃいけない壁を越えてしまい、なんて事をしてしまったんだという自分と、それこそ、真の汚れ役をやれたと誇らしい自分とがいます。

どっちかと言えば、やはり誇らしい自分がいます。

こんな厳しい現場でも自分から逃げなかったのは、余程仕事に誇りを持っているのだなと思います。

「どんなきつい現場でもやるよ」とは常に言ってるものの、実際にできるかどうかはやってみないとわからないもの。

「こんな現場我、慢できない」って泣いて逃げ出す自分が居なくて良かった。