今日は加須市の生前整理の現場で、トラック数台程のお仕事でした。
私たちにとっては、簡単な部類の仕事でしたが、その帰りのトラックでのスタッフとの私の話。
「今日の案件は、お客さんが2カ月くらい取り組んでも、全然片づけが終わらないんで、私らに頼んだらしいよ。だから、2時くらいに親戚の男手に手伝いに頼んで私らと一緒に、何とか今日中に終わらせようとしたみたい。
でも、うちらにとっては簡単な部類だったじゃない。その人が来る前に終わらせちゃったね」と私。
「そですね。お客さん、『夢でも見てるような』って驚いてましたね」とスタッフ。
その時にお客様のぽろっとこぼれた「夢でも見ているような」の言葉の重みに気づきました。
私たちには日常の片づけでも、お客様方にはとても辛く、苦しい片づけ作業のようです。
2カ月も必死になって取り組んでも、一向に進まない生前整理が、業者に頼んだところで、そう簡単に終わるはずがない、そう思われていたのかもしれません。
ところがトラック2.5台分の片づけでしたが、2時間掛からず終わりました。
お客様にしては、はるばる東京から来ているため、何時間掛かっても何とか今日中に片づけを終わらせてやるぞという意気込みがあったのかも知れません。
それがヘルプを頼んだ親戚が来る前に、掃除機掛けまで終わった作業をみて、「夢でもみているような・・」と、嘆息の声がこぼれてしまった。
想像できない仕事を提供したのかなと。
我々にとって、最高の賛辞の言葉でしたが、その言葉を聞いたときは気づきませんで、帰りのトラックの中でスタッフに言われ、気づいたところです。
じわじわと喜びがこみあげてきます。
「夢でもみているような」仕事を提供できたのは、会社経営をしていて最高の喜びです。
生前整理の作業というのは、一般の方には、とてもきつく、大変な作業です。
私たちは、これからも引き続き「夢でもみているような」仕事を提供し続けたいな、と思うところです。
こんな賛辞の言葉は私にとって「夢でもみているような」喜びの声です。